top of page

仏教遺跡の残る南部の町「テルメズ」前編

Salom!(ウズベク語で「こんにちは!」)


この記事ではタイトルにある通り、ウズベキスタン南部の町「テルメズ」を紹介します。

ウズベキスタンの宗教的な建造物と聞いて皆さんが思い浮かべるのは、大体がイスラーム建築だと思います。サマルカンドにあるレギスタン広場や、シャヒジンダ廟などです。


しかし、南部テルメズの町にはなんと、仏教遺跡が残っているのです!中央アジアに遺跡がのこるほど仏教が信仰されていたというのは、なかなかイメージがつきません。


本記事では、そんなテルメズの仏教遺跡や、それにも関連するテルメズの地理的特徴についても紹介していきます!


〈この記事はこんな方にお勧めです〉

  • ウズベキスタンに旅行に行く予定のある方

  • 仏教遺跡に興味がある方

  • 日本にいるウズベク人と話す機会がある方


テルメズの基本情報


テルメズの場所は以下にあるとおりで、ウズベキスタンの南部スルハンダリヤ州の州都です。

テルメズ南部を走っている大河がアムダリヤ川で、ここがウズベキスタンとアフガニスタンの国境になっています。


人口は約20万人で、日本の地方都市と同じくらいです。(青森県八戸市、島根県松江市など。)


民族構成はウズベク人、ロシア人、トルクメン人、タタール人です。


先ほど述べた通り、アフガニスタンとの国境にある町ということから、ソビエト時代のアフガニスタン侵攻の際の軍事拠点になりました。その当時、多くのロシア人の傭兵が来たため、ロシアから離れていますがロシア人が多いということです。


実はカラ・テパという遺跡の上からもアフガニスタン国境のアムダリヤ川が見えますが、そちらにカメラを向けることは厳禁です。


気候は砂漠気候で、特に夏は40〜50度にも達します。降水量も年間約160mmと非常に少ないです。


高い木などは一切なく、背の低い植物のみがあるだけです。



テルメズの歴史


テルメズの歴史は実は古く、紀元前6世紀に興ったグレコ・バクトリア王国のときには町として出来上がっていたと資料に残されています。


(バクトリア王国ではゾロアスター教が信仰されていたので、ゾロアスター教の遺跡もなにか残っていないかと思ったのですが、それは見つけられませんでした...。)

その後紀元前2世紀にクシャーナ朝が侵入し仏教が栄えました。今回紹介する仏教遺跡はこの頃のものです。


7世紀にはアラブ人が侵入し、イスラーム化しました。その後はイスラーム王朝の中で発展しましたが、19世紀にロシア帝国に組み込まれ、19〜20世紀の英露グレートゲーム(イギリス・ロシア両国のアフガニスタン略奪)ではロシアのアフガニスタン進出への拠点となりました。


行き方


テルメズへの交通手段は、飛行機かタクシーか夜行電車です。


飛行機はタシケントから行けます。フライト時間は1時間20分です。

タクシーはサマルカンドから約5時間です。

夜行電車はタシケントから約14時間、サマルカンドから約10時間です。


私は夜行電車で行きました。(サマルカンドを23時半発、テルメズに翌朝9時半に到着です。)

上から2番目のグレードである4人部屋で、1人2000円程度でした。


ウズベキスタンの電車でよくあるのは、自分が予約していた席に他の誰かが座っていることです。一応駅員さんに相談しましたが、特に夜行だとこちらが席を変えなければいけないことも多いです...。


全くの他人である男性と同じ部屋で寝るのは抵抗があったので、次回はタクシーにしようか悩みどころです。



まとめ


記事が長くなりそうだったので、一旦ここで区切ります。

テルメズという町は、有名なタシケントやサマルカンドとはまた違ったウズベキスタンを感じることができると思います。


後半の記事でテルメズにある遺跡や宗教建造物を紹介します!

bottom of page